オヤジの生き様20代編

コラム

どうもるんるんです
私が2月28日まで働いていた業種が水商売なんです。
会社が変われどこの業種に22年間携わってきました。(実際は27年)15歳から手伝いなどあり・・・
スナック・ラウンジ・キャバクラ・クラブ、
セクシーキャバクラ・ピンクサロン・デリバリーヘルス、
ホテルヘルス・ナイトバー・ホストクラブete

主として女性(キャスト)に接客していただき来店していただいた
お客様にシステム料金をいただく仕事でした。

なぜ22年間でこれほどまでの携帯が違うところで働いたのか?

1つは若いうちは給料に流され会社を転々としていました。同じ働くのにあたり効率(給料の高い)ところに移動してました。中にはヘッドハンティング的な時もありました。

若いときはがむしゃらに働き上司に可愛がられるようなまじめな働きぶりでした。他の店舗のお偉いさん方にも褒められることもあるくらい社畜な人生でした。

外面も良くして仕事も早い段階からいろいろなことを教えていただいてました・19歳後半には小さい店でしたが店長を任していただくくらいになっていました。

このころで給料は手取り45万位(水商売なんで引かれるものがないんです。税金関係・保険関係は自己払いなんで)このころから少しづづ偉そうなガキになり始めてました。

若い店長ということで経験が浅い為臨機応変に対処が難しかったため自分よりはるかに年上の方に顎で使う感じと悪い事を平気でやってた時期がありました。

今思うとほんと申し訳ない限りでした。このころの水商売は観光ビジネスと言われるくらい地元の方よりも観光客にターゲットを絞った戦略型ビジネスでした。

働いていた場所が大阪という地域でもありこういった手法だったんです。今ではほぼ絶滅に近いボーイがキャッチと言われるやり方でお客様を誘惑、勧誘する形でお客様を獲得する状態で店舗ではキャッチを5人から10人くらい専属で雇用しお客様獲得に日々紛争でした。
私も駆け出しのころはキャッチをやっていかに来てもらえるか?日々悩んでいました。

21歳の時

当時の部長が各店の売り上げをもって高跳び!
(6店舗分の週末の売り上げ金額約1800万)

大惨事に
部長はギャンブル好きで多額な借金があったのが後から発覚
のちに博多で御用となったらしい1年後に・・・
そのことがあってから幸運か不幸かわからないが

トコロテン方式で部長に昇格
当時利益率が1番良かったのがうちの店だったんです
箱も小さく20人で満席の小箱
経費があまりかからないから利益が出るただそれだけだったんです。
そのころの給料が50万~60万、年末だと100万でした。

22歳の後半

金銭感覚が著しくおかしくなりバカばっかりやり始め、仕事に身が入らなくなる始末
部長職に就いて現場で働くより各店を見て周り
社長に報告するのが基本あとは忙しいときに手が足りてない店舗に応援で入るとゆう仕事の為、
空き時間がかなりありパチンコや飲みに行ったりと、本末転倒な働き方。
若いクソガキが下手に金を持つとろくな事がないとよく親に言われていたがそのままでした。

大阪府迷惑防止条例

23歳のころ情勢が少し変わりキャッチを厳しく取り締まられるようになり
当グループのキャッチ勢がこぞって逮捕
大阪府迷惑防止条例違反
というものでキャッチがどんどん捕まり、やめていき他店どこ見ても
いなくなる形
当分はおとなしく店前にスタッフを置き
案内係という名目でキャッチをするやり方
どこの店もよく似た形となり
一時期大阪の街が閑散とした時期があった。
そのおかげで店舗を閉鎖するところもあり
うちのグループも2店舗閉鎖を余儀なくされました
幸い人員をまとめれるため1店舗単位でスタッフが足りてなかった所
キャスト不足が解消され以前にもましてゆとりが持て
売り上げが上がる形となりました。
禍を転じて福と為す昔の方はよく言ったものです。

23歳後半

大事件がありました。
雇われ社長が電撃引退(会社独立の為)
その後オーナーが大病の為入院、会社としての機能停止
オーナーからの一言
『長く無いから今の店はお前らに譲る頑張れ』
各店長クラスが呼び出し食らって聞いたのがその一言

私は長々と話していましたが体に障ると言われ看護師さんに出るように言われて退席
店に帰り各店長に召集をかけ今後の対策を
各店長が社長となりグループを組んで助け合いの共同経営というのがオーナーからの意向だったが私がクソガキだった為にまとめ切れず

各店独立採算グループ解消となってしまった。
半年後オーナーは癌の為なくなられ、店もやはり赤字を打った時に耐えれなくなり2店舗閉鎖。当時社長1人は給料未払い・業者にも未払いで夜逃げ最悪のパターンにもう1店舗は、払うもの払ったけれども存続が不可能の為閉店。

キャスト・スタッフを全員受け入れることに社長は引退。家に帰って職探すと言っていた。
残り2店舗は一応私が社長となり2店舗とも管理をしていた。

当時の店長が私は雇われの状態が良い自分ですべて背負うのはつらいと聞いており私の管轄についており何事もなく経営できていた。順調ではないがなんとか経営ごっこをしていたが、
やはり経験が浅くガキなため旗周りから軽く見られ扱いが悪い、業者にしろほかの店舗の社長、オーナーさんにしろ扱いは雑にされていた。
そのころは給料は店の売り上げ次第20万~200万
もうムラがありすぎてしんどかった。

24歳ごろ

オーナーが亡くなってから付き合いごとが多くなて来た
店舗には以前オーナーが付き合っていたと思われる893屋さん
盆と正月の付き合いをとオーナーがしていたのならと受けたのが間違いだった。
ガキだと思い吹っ掛けてくる吹っ掛けてくる。もう食い物にされていた。
盆と正月に100万近い金が飛んで行った。
知り合いに相談したら『あほやなー』でかたずけられるほど搾取されていた。

付き合いをやめるか付き合いの商品を変えてくれと話しに行ったら
893大激怒もう手が付けれない店前で騒ぐ喚き散らす・・・周りに人がいなくなる・・・
そういやがらせなんです。これを週末にやられて売り上げが大幅にダウン
警察にも893が店前でいやがらせを受けている話をして少しは改善されたが、あの手この手でいやがらせ、当時私の店にいた店長がそこの893と違うところの893の方と仲のいい方がいて相談してくれて話し合いになり終わった。

この事がきっかけで店は大赤字となり貯金まで無くなるくらいに赤字となり財産はたいて穴埋めをした。

旅立ちの日

この事がきっかけとなり社長を辞任、店長に継いで貰いあと腐れないやめ方ができた。
25歳春の事でした。この時私は大阪を後にしました。

25歳春

大阪を離れ取り敢えず東へ何も目的もなく各駅停車に乗りぶらぶらと
1人旅と言いたかったが、私が社長していた時のマネージャー
でもある私の友人がついてきた。
男2人旅である。
駅弁食べながらこれからの事を語ってたたら、
仕事の疲れを癒そうと温泉にと話になり、
温泉探しにあれやこれやと話しているうちに滋賀県あたりに
差し掛かった時に友人がおバカな話をし始めた。

草津温泉に行こうと話になり滋賀県の草津で降りようとした。
そうなんです草津違いなんです。

草津温泉は群馬県であり友人は知らなかったんです。
暴走を止め説明して理解したときは、馬鹿笑いしてました。
ここから近い温泉と地図上の温泉を調べたら
岐阜県の長良川温泉が近いことが解り目指すことに1週間湯治生活してました。

職を探して

気分もリフレッシュしてさて仕事を探さないと・・・
いつまでも旅行気分だと財布の中が持たない。
かといって2人とも水商売以外はバイトで色々していたが、これといって技術がない。
早めに衣食住をきちんと確保しないと・・・
結局水商売が手っ取り早い為、探すことに、飲み屋街は柳ケ瀬ブルースでも有名な
柳ケ瀬である東西にアーケードがあって飲み屋がひしめき合っている。

ローカル地域だけに個人店や小さい会社は給料未払いなど気になるので中堅から大型グループを探した。

友人はソープもありと言っていたが未知な世界懸念があった。
当時愛知県、岐阜県で会社を展開してる会社にたどり着いた。
面接したのは同じ年の店長さん。
同じ年ともあり話が弾み即採用、有難い話であった。
社宅も完備していたので段取りしてもらい翌日からの勤務と言う事で、その日はニート最後と言う事でその店とは関係のない店で友人と飲みに出かけた。

出勤初日

支給された制服に着替え現場にこの店は店長以外はスーツではなく制服であった。
店のやり方だけ聞いてそれとなく働く、のみ込みはいい方なんですぐに動けた。
会社側も経験者は有難いと言っていい様にしてくれていた。

26歳夏

昇格に伴い人事異動

1年くらいしてマネージャーに半年くらいで主任には上がっていたが
マネージャーになり系列のクラブ部門に異動
クラブ部門で人が辞めた為移動になった。
久々にスーツでの仕事、ネクタイが堅苦しくて嫌だったが仕方ない
前の店が服装的にラフすぎた為余計にそう思った。
一緒に来た友人と同じ現場になった。

秋、暴力事件

友人が酔った客に絡まれ右足と肋骨1本を折られた。
指名したキャストが抜けてから帰ってこないなどと言い
暴れ始めた。
友人がなだめるのと事情の説明に行ったとき、
エキサイトした客が友人を殴る蹴ると暴行を働いた。
もう警察沙汰レベル、他の客にも被害が及ぶ、グラス投げるはテーブルを星一徹状態に(笑)

警察が来て営業ができない状態にお客様はお帰り頂いてバイトと一般職の社員はキャストの送迎
私と店長は事情徴収、友人は救急車で搬送大惨事だった。
ちなみに友人は全治7か月の診断が出ていた。

27歳秋

友人のお父さんが亡くなった。実家に母親と弟だけになるのでと
会社を辞めて実家に帰っていった。
21歳からずーとつるんでいただけに少し寂しい思いだが仕方ない。
1人でも頑張るしかないと思い頑張っていたが
私にも転機が来た。

27歳冬

とあるお客さんから出資の話が出た。
自社ビルで空きがある為、もったいないからやらないかと?
との話、居酒屋や飲食店をメインに展開している
地元企業の社長さんである。
スナック、ラウンジ程度の小規模の店だが、1からやるには十分な話である。
ダイニングバーでと言う話になり。
とんとん拍子で話が進んだ。

28歳春

クラブをやめて開店準備に追われる日々
毎日が充実していた。忙しい時ほど余計な事を考えなくていい。
酒の肴を日々模索して作る。
あっという間にオープン
オーナーの知り合いや前の店のキャストさんや同伴、アフターなど
使っていただき順調な状態でした。

29歳春

転機が訪れるしかも最悪な事態である。
順調な滑り出しから1年あまり
働いてるビルが新しい基準の建築法にひっかっかった。
夏までに取り壊し立て直しであるとオーナーから言い渡される。
建て直せばテナントも新築となり場所も比較的に良い場所なんで
借り手はすぐできるであろう。
店子であったがほぼ家賃も相場以下オーナーの
気まぐれで出資しだから執着がない。
事実上閉店である。
利益も出ていたし楽しかったんだが仕方ない、オーナーから退職金みたいなものをいただいた。
事実上解雇
明日以降かたずけが終わればニートである。1年くらいは遊んで暮らせるだけは蓄え有るし、
退職金まがいでも半年は優に過ごせるがもったいないので職探しをすることに
オーナーの店で働く話もあったがなんかケチがついた状態だから丁寧に断った。

当時付き合っていた彼女が岡山出身であって
岐阜に未練がない為
彼女と岡山に行くことに岡山で職探しと言う事で落ち着いた。
29歳夏の事でした。

長文おつきあいありがとうございました。
オヤジの生き様30代編気が向いたら書きます(笑)

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