花見の由来、花見にまつわるエトセトラ

コラム

どうもるんるんです。イヤー花見の時期ですね。桜にお酒楽しみです
何気ない毎年の恒例行事ふと考えたのですが花見のルーツ気になったんで調べてみました。

花見のルーツ

もともと中国から伝来したばかりの梅の花が鑑賞されていて、奈良時代の貴族達の歌会の行事で梅の花を見て歌を詠むのが花見の起源だと言われている。

花を見る花見は少し後のお話し。奈良時代万葉集も見れば解るが梅を詠んだ歌が110首程度みられる。ちなみに桜を詠んだ歌は43首。当時花見とは言わず『花宴』(かえん)といい梅を見て楽しむものであった。

梅から桜に代わった背景・・・

平城京建設にあたり奈良盆地は針葉樹林がたくさんあった。桜よりも背の高い針葉樹林は資材として伐採され建設に使われた。
何せ平城京は東京ドームおよそ513個分の面積があり伐採の量も半端ない数。
そして桜が日に当たり沢山の花を咲かせ蜂など虫たちにより異種間の交配が起こり年々品種改良みたいなことが起こり綺麗な花が咲くことから庶民からも愛される形となった。

平安時代に嵯峨天皇が地主神社に参拝で訪れた時、地主神社の桜を見て心奪われこれがきっかけで日本で記録上初の桜で花見をしたのである。『花宴之節始於』と日本後記に記されている。

その事から桜の花を見て歌を詠むのが支流になった。これは古今和歌集を見れば一目瞭然となる。
桜を詠んだ歌が70首に対し梅が18首と逆転している。

花見に代わるきっかけ

先程でも書いた当時花見とは言わず、『花宴』(かえん)と言い、いつから花見になったのか?というと奈良時代『花宴』(かえん)は梅を指し、桜は『桜狩り』、紅葉は『紅葉狩り』と言われていた。

当時桜や紅葉は山に入り折って(狩って)持ち帰り眺めたりかんざしにしたりとしたため、その様ないい方だった。

桜狩から花見に

嵯峨天皇の息子の仁明天皇が桜狩をしたかったのだが、安全上の理由で外出がまま成らなかった。
桜狩に行けず他の貴族と同じように桜が見たいと思っていた。

仁明天皇は出れないなら『桜を庭に植えればいい』と考え御所の梅の木を抜いて桜の木を植えて毎日見ていたそうです。この事から山に入り桜を狩るのでわなく庭で見る『花を見る』から花見になったそうです。

花見の大衆化

花見が大衆化したのはかなり後の江戸時代八代将軍 徳川吉宗の時代、江戸幕府の経済の発展を考えた吉宗は花見で経済を活性化を考えていた。

今の墨田川や御殿山などに桜を植え花見スポットを作っていた。そして花見をする者に花見弁当、花見団子などを販売する様仕向けていた。これが大衆に根付き今の花見の原型となります。

花見団子(三色団子)の意味合い

三色団子には商売繁盛を祈願した形で作られている。
ピンク 桜色は『春』を指し
白   雪の色『冬』を指し
緑   新緑の色『夏』を指し
これで3色団子になります。上記な中に『秋』がありませんよね。 秋が無い→商い
と語呂合わせ的なことから商い(商売)のゲン担ぎの商品となったのです。

いつからかはわかりませんがどれだけ食べても秋が無い→どんだけ食べても飽きが来ない。
とこじつけもついたそうです。

最後に

桜折るバカ、梅折らぬバカなどと言葉がありますが昔は桜狩りと言う事があったため、桜を折るような事をしない為の戒めを踏まえた言葉みたいです。逆に梅は身を食す為、狩らなければいけないと言う意味だそうです。

桜の開花時期は短い為、期間内に綺麗な桜を楽しみたいですね。

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